2010.06.14 Monday
カタチあるもの いずれ壊れる
グラス

ここ1ヶ月の間に、グラスを2つも割ってしまった。こんなことは、自分史上初。

「カタチあるもの いずれ壊れる」と云うことは理解しているので、モノに対する執着は無い。しかし、それは大切にしないと云うことではなく、いつか寿命がくるまでは大切に扱い、可能であれば修理をして使う。そして、最終的に使えなくなる日が来たら、感謝して気持ち良く別れを告げる。そんなスタンスが良いと思っている。

だから、ほんの一瞬の意識の不在に依って「壊して」しまうことは申し訳なく感じる。

と同時に、自分が集中していることがクッキリと浮き彫りになる瞬間でもある。ある何かに集中し、どんな時でも思考の向かう先がそのことだけになっていると、それ以外への意識が疎かになる。結果、指先の微妙な動作を間違えてグラスが落ちたりする。そうして、ふと「あぁ、自分は今このことに夢中なんだ」と認識する。

何かに取り組むのは楽しいことだし、良い事だと云えるだろう。
しかし、それが何であれ「それが全て」になってしまうのは危険だと思う。何であれ「それ」だけで成立している世界は無い。「それ」と「それ以外」のバランス感覚を素敵に保ちながらでないと、気が付いた時には大切なことを見失ってしまったり、正しい判断ができなくなったりしてしまうことは往々にあるだろう。

私は「専門家」の云うことを基本的には鵜呑みにしない。
理由として、専門家は、専門分野に集中し過ぎて、他のこととのバランスがとれていないことが多いため。故に、その分野の世界の中では正しいことでも、それ以外の世界の中にあっての、総体としての判断としては正しくないことが少なくない。

ただ、同じ専門家でも、単一の分野の専門ではなく、複数の分野に於ける専門家である場合にはこの限りではない。特にそれぞれが全く異なる分野の場合には、逆に、考え方の幅が広がり、形骸化した慣例にとらわれず、柔軟性を持ったバランスを失っていない深く的確な判断が出来るのではないかと考えている。

割れた2つのグラスが命を張って与えてくれた警告は受け取った。
集中するのは良いが、ONとOFFの切り替えはキチンと心がけて、バランスを崩さないようにしようと思う。
comments
私も「専門家」とは複数の分野に於ける専門家のことだと思います。
世の中の事象は、なんらかのつながりがあって、その見極めができないのに「専門」について語るのは「偏っている」ということじゃないかと。偏っている人の話はあんまり信じたくないですもんね。
ものごとを深く考えていくと、意外なところとつながったりしますよね。
逆に、何が正しいのかもわからなくなる事もしばしば。
なので、自信たっぷりな専門家の話は、まず疑ってかかります。
正解があることさえ、あやしいのですから。
やせ
2010.06.14 / 21:31